築地はその昔、外国人居留地でございました。
その昔と申しましても明治元年(1869)~32年(1899)までと、
わずか100年ばかり前までは、現在の築地 明石町一帯は
ホテルや教会をはじめとする洋風な建物が並ぶハイカラなエリアでした。
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築地ホテル館、ホテル・メトロポール、セントラルホテル、江戸ホテル・・・と
いった現在で言えば、外資系ホテルが大小営業していたようでございます。
上の絵は当時の築地ホテル館界隈の賑わいを今に伝える一枚。
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低層というのはやはり素敵でございます。一番の贅沢です。
ホテル向こうの大川(隅田川)を行き交う船も風情を添えておりますね。
都内に富士見町、富士見坂というのが沢山あるのも、
昔はおしなべて街が低層だったことにほかなりませぬ。
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話は少しばかし飛びますが、
現在、新宿にある東京都庁(丹下憲三デザイン)のコンペの際、
ほとんどの建築家が当たり前のように高層化を提案する中、
丹下さんの弟子の磯崎新さんだけは低層での建築を提案したそうでございます。
もし、磯崎さんの低層案で進んでいたとしたらなどと想像するのも
楽しいものです。
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